2022/08/11 - 12:58

Came To Be Journal

a pursuit to make sense of the world

創価学会三世の俺氏、生まれて初めて学会の歴史を学ぶ

筆者と創価学会

少年時代、サッカーの練習からの帰り道、母の車で「よーABC~」と歌っていた事を覚えている。母が好きだったMISIAのYour Everythingである。家に帰ると「なんみょーほーれんげきょー」が聞こえる。筆者は北海道の二世帯住宅で育ったが、一階に住んでいた父方の祖母が熱心な創価学会員なのであった。おばあちゃん子であった私は、幸せな出来事を題目(南無妙法蓮華経)の結果と信じる彼女のそばで暮らし、聖教新聞や学会機関紙の大白蓮華も日常の光景であった。とはいえ、私の母※1が「神頼みなんて他力本願は大嫌いだ」と言い放つ信仰の薄い人だったし、祖母も無理やり私を学会に引き込もうとはしなかったので、子供なりに忙しかった私が、ただ日常にあるだけの創価学会に興味を持つことはなかった。事実、法華経(というお経)は最初の2行しか暗記出来ず、座談会(学会員の交流会)も人生で2-3回の参加、大白蓮華なんて開いたこともない。そんなこんなでつい最近まで、私の学会認知は「日蓮正宗と公明党と関りがある、お経を唱える宗教団体」くらいのザックリしたものだった。ただなんというか、大人になった私の人生の宿題の一つとして、創価学会とは何なのか知っておきたいという気持ちがあり、ふと島田裕巳氏の『創価学会』という書籍を手に取ったのだが、これが点と点を繋ぐアハ体験の連続で、せっかくなので自分なりにブログにすることにした。

創価学会とは何か

公式ホームページには、創価学会の定義がこう書かれている。

“創価学会は、日蓮大聖人(1222〜1282)の仏法を信奉する団体です。「創価」とは価値創造を意味します。その価値の中心は「生命の尊厳」の確立に基づく「万人の幸福」と「世界平和」の実現であり、それが創価学会の根本的な目標です。”

日蓮大聖人の仏法とは、「仏教の開祖である釈迦の教えの中で一番優れたものは法華経であり、題目を唱えることで人は救われる」とする考え方である。妙法蓮華経というのは、法華経を原文のサンスクリット語から漢訳したものであり、東アジアの仏教徒はこのバージョンで法華経に親しんできた※2。学会員が日々唱える「南無妙法蓮華経」とは、妙法蓮華経を心から信じ敬う(南無=サンスクリット語のナマス)ことを意味している。

公式ホームページによる定義に、日蓮宗・日蓮正宗といった日蓮を開祖とする宗派名が含まれていないことに注目してほしい。理由は後述するが、創価学会は1991年に日蓮正宗に破門されており、現在はそれらと独立した宗教団体なのである。

2018年に公表されたデータによれば、日本には827万世帯の創価学会員がいるらしい。個人ではなく世帯数カウントであり、正確な定義も不明なので信憑性には疑問が残るが、日本全体の世帯数が約5,600万なので、日本人の約15%が学会員という事になる。30人クラスなら4.5人が学会員である。日常生活で宗教が話題に上がることは稀だからかもしれないが、私の実感よりかなり大きな数値である。

そんな巨大集団は、組織図も非常に複雑である。役職を持たない一般の会員はざっくり、居住地による地域組織と、年齢・性別による「部」に属していると考えてよい。地域組織の最小単位はブロックと呼ばれ、約15世帯で構成されており、それぞれが地区→支部→本部といった上位組織に組み込まれている。部には例えば、40歳以上の男性=壮年部とか、その女性版の婦人部、高校生などの未来部などがある。注目すべき活動としては地区単位で開催される座談会があり、そこで学会員はお互いの信仰体験を共有し、絆を深めているのだ。また、学会全体として力を入れている活動分野は「平和」「文化」「教育」の3本柱である※3

創価学会の誕生: 初代会長 牧口常三郎

創価学会の活動内容3本柱の中に、教育活動が含まれていることは前述の通りだ。実は創価学会は、1930年に「創価教育学会」として始まり※4、その目的は(1)教育学の研究や(2) 研究者の育成(3)国家教育の改善であった。創立者の牧口常三郎は1871年に新潟県で生まれた。地理学に関心を持つ教育者であり、小学校教員や校長を務めていたこともあるそうだ。彼は57歳のとき日蓮正宗5と出会い、その二年後に創価教育学会を創立する。牧口と交流のあった柳田國男によると6、もともと牧口は信仰深い人間ではなかったそうで、家庭の不幸(子供の死や貧しさ)が徐々に彼を宗教へ傾倒させていったらしい。

創価学会は、日蓮正宗の教えに「価値論」と「法罰論」という牧口のアレンジが加わった独自の信仰団体へと成長していく。「創価」とは価値を創造することであるが、牧口の価値論によれば、人生の目的は幸福であり、価値があるものとは、幸せの役に立つものである7。牧口は社会全体の幸福(公共の福祉)を重要視していたようで、社会全体に貢献できる価値がより優れていると考えており、教育も、そういった人材を育成する場という位置づけであった。加えて牧口が、価値の分類の中で、現実的(経済的な)利益を重要視していたことは認識しておくといいだろう。

日蓮仏法そして創価学会への入信(参加)とその活動は現実的な利益をもたらす、という前提の上で主張されたのが「法罰論」である。宗教にとって「その教えに反対するものを罰する力があるか」も大事な評価基準の一つという考え方であり、批判を恐れず直接的に表現すれば、学会を信じなければ罰せられて然るべき、ということだろう。創価学会はこの法罰論をもって学会員たちは布教活動8を推し進めていき、1942年には学会数が4,000人に達することになった。前述の座談会も、この時期に牧口によって始められた取り組みの一つである。

牧口が学会活動を行っていたころの時代背景として、国家神道や治安維持法が存在したことは理解しておくといい。事実、1943年に牧口は逮捕され、73歳の時、獄中で亡くなった。確かな土台を造り上げた牧口であるが、組織を巨大化させるというミッションは二代会長の戸田に引き継がれることになった。

創価学会会長 牧口常三郎 戸田城聖 池田大作
公式ホームページより引用

創価学会の成長期: 二代会長 戸田城聖

牧口を教育者/インテリとするなら、二代会長の戸田城聖は実業家であった。YouTubeで検索すると彼の肉声9を聞くことが出来る。文章で自らの思想を理論的に表現した牧口に比べ、戸田は目の前にいる聴衆に直接訴えかける、スピーチスキルが卓越した人物だったようだ。実際に聞いてみると、簡単な言葉遣いで、勢いよく喋っている。口達者という言葉が頭に浮かんだ。

戸田が手掛けた事業には学習塾(時習学館)や出版社(日本正学館)などがある。1920年代にはまだ受験産業が確立されておらず、模擬試験によって合否の可能性を算出する仕組みを導入した時習学館は大ヒットし、後に出版した受験参考書は100万部を越えるベストセラーとなった。このことから戸田は「受験の神様」の異名を持つ。戸田は財政面、そして自身の出版社から牧口の著作を出版するという方法で、創価学会を支えたのである。

戸田の来歴についても簡単に触れておこう。戸田は1900年に石川県で生まれたが、2歳の頃に家族で北海道へ移住し、20歳で上京した。彼も小学校での指導経験があり、東京で牧口と出会った後は、牧口が校長を務める小学校で代用教員を務めた10。教職を辞めた後も牧口との交流は続き、ともに日蓮正宗に入信し、同じく治安維持法により逮捕された。より深いレベルで宗教へ傾倒するきっかけとして、例えばキリスト教では神との接触(預言の訪れ)が挙げられると思うが、実業家戸田のモーメントは獄中で訪れたらしい。法華経、そして仏の性質について考え抜き、「悟り」が訪れたのである。

戦後に出所した戸田は、翌年(1946)に創価教育学会を創価学会へと改称、1951年に2代会長に就任した。名称変更からも察せる通り、戸田の時代に創価学会は教育→宗教団体へのシフトが加速した。会長就任式では目標に75万世帯への布教を掲げている。この時点での会員数は多くて5,000人(1,000世帯)だったらしいから途方もない目標であるが、戸田が亡くなる1958年には会員数は100万世帯に達し、東京オリンピックの64年にはなんと500万世帯に上った。

創価学会と聞くと公明党が頭に浮かぶ人は多いと思うが、学会が政界進出を推し進めたのもこの時期である(厳密には1955年の地方議会選挙~)。戸田によれば政界進出の目的は(1) 学会員の団結力・信仰の強化 (2) 日蓮正宗の国教化であった※11。急速に進んだ布教の背景には結果が可視化され、団結が必要である選挙という「ゲーム」も大きな役割を果たしたのだろう。

誰が創価学会員になったのか:学会員のプロフィール

前述の通り、学会に所属する世帯の数は1951年から1964年の13年間で5,000倍に増加した。敗戦復興・高度経済成長のこの時期に、多くの農民(特に引き継ぐ農地・家がなかった次男・三男)が都市部に流入した。創価学会に入信したのは、こういった新たな土地で、それまでと異なるスキルを要求される職業に就いた比較的貧しい人々であった。この層の人々は、社会主義や共産主義の潜在的な支持者であったことは認識しておくとよいだろう。創価学会は、彼らに布教・政治を通して生活を豊かにするという共通の目的や、座談会をはじめとするコミュニティへの帰属(社会での居場所)を与え、そのネットワークは、困った時に仲間が助けてくれるという現実的な利益を提供した※12

戦後日本には数多くの新興宗教が誕生し、その様子は「神々のラッシュアワー」と表現されていたらしい。そんな激しい競争環境において創価学会が勢力を伸ばすことに成功した理由が二つある。一つには信仰の形が日本の伝統的な祖霊信仰とは異なっていたこと、もう一つは葬式を同一宗教内で行うことを可能にした出家集団(日蓮正宗)とのつながりだ。

日本における伝統的な生命観は「家」をベースにした生命の循環と祖先崇拝に見出される※13。新興宗教の「見込み客」である都市への移住者は、伝統的な「家」と切り離されていたため祀る先祖を持たず、創価学会の「お経崇拝」はこの点で強みになった。また「葬式仏教」文化のある日本においては、何らかの霊魂崇拝を核とする新興宗教に入信しても、誰かが亡くなると家の仏教へ立ち戻る必要があり、ここから信者が流出する恐れがある。創価学会はこの点もクリアしており、信仰の確立という観点で抜け目がなかった。

布教という観点における創価学会の強みと実績を述べたが、その布教活動が攻撃的で、他宗教や学会外の人々への敬意の欠けたものであったことは言及しておくべきだろう。法罰論に見られる創価学会の排他性は、家に押しかけて信仰を押し付けたり、いきなり教会にやってきてキリスト教は間違っていると論破を試みるといった行動に表れている※14。学会内部と外部、「正しい私たち」と対立するその他といった二分法は、強力な指導者の煽動も相まって、人間から理性や尊敬を奪うのだろう。いや人間は元々そんな高尚なものじゃないといった批判が聞こえてきそうだが、人間の「本質」についてはまた別の機会に考えることにしたい。

夢の挫折 – 日蓮正宗の国教化: 三代会長 池田大作

若干タイムラインが前後してしまったが、戸田の死後、二年の空白を経て1960年に三代会長に就任したのが池田大作である。93歳である現在も名誉会長として君臨する学会のシンボル的存在であり、私の祖母もよく池田先生の名を口にしていたのを覚えている※15

池田は1928年に東京に生まれ、19歳の時に学会に入信した。このタイミングでは、戸田の事業が経営難に陥っており(例えば戦前大ヒットした受験参考書は学習指導要領の改正により無価値になっていた)、池田はその事業再建で台頭し、戸田の信頼を勝ち取ったらしい。布教にも情熱を注いでおり、1957年には公職選挙法で禁止されている戸別訪問※16を学会員に指示したとして逮捕されているが、判決は無罪であった。

教育団体としての学会創立者である牧口、宗教法人への方針転換と会員数を拡大させた戸田の後、池田に託されたミッションは更なる布教と、政治的影響力を強めることだ。現在も創価学会を支持基盤とする公明党は、池田が1964年に立ち上げた政党である。当初は綱領に「王仏冥合」「仏教民主主義」などを掲げ、日蓮正宗の国教化を目論む仏教政党であり、池田の指導のもと、1969年には衆議院で47議席を獲得するなど盤石な歩みを見せていた。しかし、(彼らにとって)残念なことに、この勢いは長く続かなかったのである。

日に日に影響力を増す創価学会=公明党に対し、当然ながら徐々に社会からの批判の声も高まっていった。ここで「言論出版妨害事件」が起きる。公明党が自身に批判的な書籍の出版・流通を止めさせるよう著者・出版社・販売店などに圧力をかけていたことが判明し、1970年に池田がこれを謝罪、(1)池田自身が政界へ進出しないこと (2)日蓮正宗の国教化の否定 (3)強引な布教の停止 (4)学会と公明党の政教分離 (この2組織間での役職兼任を廃止)することを明言した。大義名分を失った創価学会は政治力を失い、72年には公明党の衆議院議席数は47から29へ減少したのである。

公明党は政教分離の原則に反していないのか疑問に思う人がいるかもしれないが、公明党は1970年に綱領を改訂しており、ここで前述のような宗教色のある理念や目標が全て削除された。これは現在の綱領でも同じである。従って、公明党の支持層が創価学会を母体としていたとしても、形式上は別の組織であることは認識しておくといい。日本における政教分離の根拠とされる日本国憲法(第20条1項後段・3項と第89条)を見ても、宗教団体が特定の政党を支持することは禁止されていないようだ。

方針転換と現在の創価学会

戦後急速に拡大してきた創価学会であるが、布教活動に制限がかかり、明確で強力な目標も失われたため、会員数を増やすことがそれまでと比べて難しくなった。そこで創価学会は、既存会員をしっかり定着させ、その子供たちに信仰を引き継がせる「家の宗教」へと転換を図った。これはビジネスでも同じで、何かを売って組織を存続させていくためには、新しい顧客の獲得と同時に既存客の囲い込みが重要だ。会社は商品・サービスを売り、宗教はアイデアを売る。そういう意味で、この方針転換は想定より早く訪れたが、必然的なものではあっただろう。

創価学会を、創価学会という一つの独立した在家仏教団体として存続させることを考えた時、日蓮正宗というある種の「上位組織」の存在は煩わしいものであった。一般的に言って、出家した僧侶が寺で修行に専念する出家仏教団体の方が、一般社会で信仰を持って生きる在家団体よりも「偉い」という権力構造がある。しかし、初代牧口が入信した時点で日蓮正宗は全国に末寺を50程度しか持たない小さな宗派であり、その宗派が拡大したのは創価学会の成長のおかげであった。

今風に言えば、創価学会にとって日蓮正宗との関係はコスパ※17が悪かったのかもしれない。もちろん、この在家団体との関りによって創価学会は、自身の教義・主張に正統性を与え、会員の葬儀までを一貫した流れで行うことが出来た。しかし、どれだけ日蓮正宗の発展に貢献しても(例えば学会は356の末寺を寄進し、葬儀という莫大な収入源を提供した)創価学会は常に日蓮正宗の下位組織である。日蓮正宗側から見れば、池田の著作『人間革命』を日蓮の著作に並ぶ現代の「バイブル」だと主張する創価学会は教義を逸脱していた。両者の関係は1970年代末から悪化し始め、1991年に学会が破門されるという形で終着した※18。これにより、創価学会は独立して存在する在家仏教集団という立ち位置を手に入れたのである。

創価学会の会員数が、1964年に500万世帯、2018年に827万世帯であることは前述の通りだ。増えてはいるが以前のような勢いがないことは明らかで、活動にもっと活気があったはずの60年代の方がアクティブな会員は多かったのではないだろうか。先進国では社会全体で世俗化(宗教離れ)が進んでいるから※19、これから創価学会はどんどん縮小していくのかもしれない。創価学会が都市へ移住してきた庶民に支持されてきたことを思い出そう。大学進学率が54%を越え、ライフスタイルや価値観が異なる親世代と子世では集客・囲い込みのメッセージも異なるだろうし、学会内部でも高学歴化する幹部とこれまで学会を支えてきた庶民の間で追求すべき目標・利益の形にギャップが生まれているらしい。変化していく社会環境の中で、今後創価学会がどのような戦略を立てるのか、ひそかに見守っていきたい。

おわりに – 人間の「バランス」と信仰生活

これは感覚でしかないけど、日本で宗教という言葉は負のイメージを持っている気がする。色々理由はあるだろうけど、筆者の頭の中には「バランス」という言葉が浮かんだ。人はそれぞれ、自分の精神を安定させためのバランス感覚があって、宗教という新たな、そして時に強烈なアイデアはそのバランスを壊すものとして恐れられているのではないかと思ったのだ。筆者は信仰とは無縁な人生を歩んできたけど、出家して毎日仏について考えていたらあっという間にその世界に染まってしまうような気がする。信仰とは習慣で、人のバランス感覚なんてその程度のものなのではないか、と思うのだ。その変化は恐れるに十分過ぎると思う。

私の祖母は80歳を過ぎた今でも毎日2時間題目 (6000回の南無妙法蓮華経) をあげている。若かったころは5時間祈っていた時もあったらしい。継続は力なりとよく言われるが、シンプルにこれは凄いことだと思う。対象がなんであれ、人生を通して何かに取り組んできたという事実は誇るべき達成である。祖母は専業主婦だったので、友達の多くが学会員だと思うし、3年前に祖父が亡くなった後も訪ねてきてくれる友人がいて、結果的にとても幸せな人生を送っている気がする。それが「神の御業」であるかはさておき、宗教的実践が彼女にとっての幸福に繋がったという事実は否定されるべきではない。世界価値観調査によると、79ヵ国で「信仰深い人はそうでない人よりも幸福になる傾向がある」という有意な相関が見つかっているらしい20。これは前述したような宗教的実践の結果なのかもしれない。

誤解のないように言っておくが、別に私は信仰をオススメしているわけではない。ただ、牧口が言ったように人生の目的が幸福であるとするならば、人はそれぞれ(他人を傷つけない範囲で)自分の幸せを最大化するように努めればいいわけで、その方法は別に何でもいいのである。科学でもスポーツでも芸術でも宗教でもなんだっていい。キリスト教でもイスラム教でも仏教でも創価学会でもなんでもいい。みんな自由に、自分が欲しい感情を拾いに行けばいい。

現代に残る宗教は登場が早いものだと4,000年の思想の蓄積がある。その間、生物学的に人間は大して変化していないわけだから、参考文献として宗教の世界を眺めてみるのも楽しいかもしれない。信仰と知識は全く別の話だから怖がる必要もない。釈迦マジいいこと言ってるわ~とか、キリストなんでもお見通しやん(ユダの裏切り)とかカジュアルに楽しもう。この文章が創価学会の歴史を通して、人間の営みについて何か面白いことを提供できていたら光栄に思う。


参考書籍

『創価学会』著: 島田裕巳氏

「創価学会の誕生: 初代会長 牧口常三郎」~ 「方針転換と現在の創価学会」までは基本的に本書を参考に書かせて頂いた。もちろんこのブログに書かれていることに誤りがあればそれは私の責任である。191ページと比較的短く、文章が分かりやすいのでサクッと読むことが出来る。それに値段も660円とお買い得だ。日蓮正宗から破門された後の創価学会や、公明党の政治的ポジションなど、私が十分に踏み込むことが出来なかった領域にも言及があるので、このブログを読んでくれた人にもオススメの一冊だ。


脚注:

  1. 母の実家では南無阿弥陀仏が唱えられていたから、今思えば創価学会/日蓮正宗とは別の信仰背景があったのだろう。
  2. 中村圭志. 教養としての宗教入門 基礎から学べる信仰と文化 (中公新書) (Kindle Locations 2207-2209) アマゾンリンク
  3. 学会の活動は熱心(迷惑)な布教活動とか、ガンジー・キング・イケダ展など、いろいろネガティブな感情がつきまとうトピックである。私はその是非を判断するほどの包括的な知識を持たないので、ここでは公式の見解を紹介するのみとする。
  4. 正確には、1946年に二代会長戸田により、創価学会へ改名されるが、それまでについても、ややこしいので表記は創価学会として統一する。
  5. 日蓮正宗は日蓮宗の一派で、法華経を前半の「迹門」と後半の「本門」の二部分のうち、後半の本門の方を重視する「勝劣派」に属する。詳しくは『創価学会』 著:島田裕巳の Kindle Locations 274-279を見てほしい。
  6. “ 1958年に神戸新聞に連載された「故郷七十年」 という自伝的な聞き書き”に掲載されたらしい。直接は『創価学会』Kindle Locations 252-253より。
  7. 『牧口価値論と法華経』著: 後藤隆一
  8. 仏教用語では折伏という。
  9. 完全にただのトリビアだが、肉声という単語は時代と共に、生で直接聞いた声だけでなく本人の声であれば録音でもいいという風に意味が変わっていったらしい。
  10. ちなみに戸田は東京に着いてすぐ株で財産のほぼ全てを失ったらしい。ここでも勢いというか豪快さを感じさせる。
  11. 日蓮の教えの一つに王仏冥合がある。戸田が国教化を目指したのは王仏冥合の思想を汲んだものかもしれない。
  12. 筆者はアメリカのテキサスに留学していたのだが、インド人のコミュニティ形成力には本当に驚かされた。留学前からネットで繋がっているし、その中で有益な情報(留学生が雇われやすいバイト先など)を交換しているので、みんな物知りな印象がある。ちなみに学費文化体験についても記事を書いているので、気になったら読んでみてほしい。
  13. 『いのちの文化人類学』著:波平恵美子 アマゾンリンク
  14. 狸祭り事件というのもググってみると興味深い。
  15. 祖母は持病を抱えていて何度も入院しているのだが、そんなときに池田先生から直々に送られてきたという1万円を後生大事に保管している。
  16. 各家庭に回って投票を依頼すること。ついでにタバコで有権者を買収したりもしていたらしい。刑務所ではタバコが通貨の役割を果たしていたこともあるが、シャバでもこんな使われ方があったのだ。
  17. コストパフォーマンス
  18. 葬式はどうなった?と思う人は友人葬とググってほしい。ざっくりいうと、お坊さんを呼ばずに、学会員(友人代表)がお経の音頭を取る儀典長を務めて行われる。
  19. 『文化的進化論: 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』P71より。 著: ロナルド・イングルハート  翻訳: 山﨑 聖子 アマゾンリンク
  20. 19に同じ。 P168より。
  21. 筆者より熱心に学会三世として活動していたNealさんという方がNoteで学会体験記を書いているので、具体的な活動や座談会の雰囲気を知りたいという方は読んでみると面白いかもしれない。

Related Articles

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here

Latest Articles