旅行記:グランドキャニオンに行くと人生変わる?
親戚に変わったお兄さんがいる。動体視力が人並外れていて、特技はスロットのビタ押し(回転しているリールの絵柄を意図的に狙ったもので止めること)。「\」マークを付ければどんなに大きな数字でも暗算できる。いつもひょうひょうとしていて、年齢不詳で、普通に話していても原因不明の説得力がある。そんな彼に、曾祖母の葬式で久しぶりに会った。インドに行ってきたそうで、こんがり日焼けをしていた。「ガンジス川に行って人生観が変わった」と彼は言った。すでにこんなに面白そうな人の人生すら変えてしまうのか、インドは。と思った。やはり人口13億人超を包み込む川は伊達ではないのだ。
そのとき私は大学4年生だった。夏になって就職先がようやく決まり、翌春から地元を離れる予定で、よくあるルートを着々とたどっていた。そんなある日、アメリカの大学へ進学した友人からメッセージが届いた。「引っ越して、グランドキャニオンが近くなったんですけど遊びに来ませんか?」大きなショッピングセンターができたから遊びに来ない? くらいのテンションである。一旦メッセージアプリを閉じて、【グランドキャニオン】をインターネットで検索した。下敷きみたいな薄い青色の空の下、レンガ色の岩々がどこまでも続く、スクリーンセイバーでよく見る風景画像だった。
これがこの地球のどこかには実在するのか。お兄さんの言葉を思い出した。人生変わるよ、圧倒的な自然を前にしたら。気づけば私は「行く」と返信していた。ベルトコンベアーに乗せられたように、勉強してレポートを出して試験を受けて進級しただけの大学生活だったので、なにか能動的な思い出をひとつ作りたかったのだと思う。
そこからは大忙しである。出発日まで1か月を切っていたので、翌日すぐにパスポートの申請に行った。フライトは往復約11万円で、後にも先にも一番大きな買い物になった。旅程は6泊7日。飛行機でアルバカーキ空港に降り、そのあとは友人の車で国立公園をあちこち回るのだ。物心ついてから国外に出るのは初めてだ。英語が中学時代からとにかく苦手で、大学は英語の個別試験がないことを条件に選んだのに、まさか14時間のフライトを一人で過ごすことになるとは。生きていると色々なことがあるなあと思いながら、荷物を詰めた。
小柄な日本人女性に、世界は思ったより親切だった。高い物入れにCAさんがキャリーケースを入れてくれ、これからワシントンに行くという隣の白人男性は、私が眠っている間に機内食を受け取ってくれたり、ごみを嫌がりもせず捨ててくれたりした。彼は最初ブランデーを飲んでいたのだけれど、私が「same one please.」しか言えない(あるあるというけれど、本当にwaterが通じなくて心が折れてしまった)のを察してか、二回目以降はノンアルコールのドリンクを注文して、こちらにほほ笑んでくれた。乗り換え先の定員数十人という小さな飛行機でついに日本人は私だけになったけれど、搭乗してみると人種の入り乱れたラッパー風のグループが何やら楽しそうに歌っていて、愉快な旅を予感させた。しかしそこは私の席だったので、おそるおそるチケットを見せると、ガタイのよい黒人男性は申し訳なさそうに彼のチケットと交換してくれた。
“世界一治安のよい国・日本”の外に出れば、世界はスリとぼったくりと差別にあふれていると思っていた。お金は小分けにしてあちこちに入れるとよいと「地球の歩き方」で読んだので、リスのようにあちこちに小分けにし、その半分を日本に忘れたまま出発した。
ホテルの中ですれ違う人が家族のように挨拶をしてくれる。老若男女問わずエレベーターやドアを開けて待っていてくれる。店員がガムを噛んで椅子に座ってさらにスマホをいじっている。資料館のスタッフが気軽に声を掛けてくる。ハンバーガーショップのハンバーガーが顔ほどある。空のコップを渡されてきょとんとしていたら、ドリンクはセルフサービスでおかわり自由だという。でも無糖の飲み物がコンビニ含めどこにもない。スーパーが遭難しそうなくらい広い。鳥の足がありふれた食材として売られている。日本とあまりに違う人々のありかたや文化には、グランドキャニオンの雄大さよりもよほど衝撃を受けた。
もちろんグランドキャニオンにも驚いた。スクリーンセイバーの画面の外はこんなにも広かったのかと思った。ホースシューベンドは真ん中の陸地に出るのではなく、砂丘を上った先であの丸く飛び出た陸地ごと円状の河を望むことも知らなかった。はるか下に流れる円状の河は、写真で観ていたときは沼のように見えたのに、穏やかでするするとした流れがあり、ずっと見ていても飽きなかった。
アンテロープキャニオンの写真に見るあのさらさらと日に照らされる砂は、ガイドが下から人力で打ち上げてシャッターチャンスを演出していた。「今だ!ジャパン!撮れ!」ハイテンションの彼は私たちツアー客のことを出身国で呼んでいて、ほかには「ジャーマン!」もいた。彼はふとした拍子に私が22歳だと知るとすごく驚いて、半分くらいに見えると言った。私もまた彼の年齢は全く分からなかった。道中たまたま出会ったインド人観光客と情報交換をしたときも、さっきのおじさんさ、と友人に話しかけたら「たぶん同い年くらいだよ」と不思議そうな顔をされた。彼らも大学生だったらしい。札幌市内に来る観光客は東アジア人が多いので、向き合っている人の年齢が全く予想もつかないという状況は新鮮で、いま自分は母国の外にいるのだという実感が湧いた出来事だった。
たいてい旅行の終わりといえば、あっという間だったと感じるものだけれど、たった6日の間に新たに体験したことが多すぎて脳がキャパオーバーしていた。一か月くらい滞在したかのような満足感を得て、再度14時間の旅へ乗り込む。旅行中に自分の「coffee」の発音が通じるようになったことを確認していたので、帰りのフライトで私はコーヒーばかり飲んだ。成田空港にたどりつき、アメリカのそれに比べて圧倒的なプライベート感のある個室トイレに座ると、あまりに慣れ親しんだ光景によって、この一週間どころかついさっき誇らしげにコーヒーを頼んだ自分すら、すべて夢のように遥かかなたへ遠ざかって行くようだった。
グランドキャニオンを見て感動しても、私は照れ屋で怠惰なままで、特に新たな人生の目標ができたりはしなかった。でも、画面の中でしか見たことのなかったグランドキャニオンが、アメリカという国が、本当に海の向こうにあった。それを自分で決めて見に行ったのだという経験は、なんとなく人生に光を灯した。これが「人生観が変わる」ということなのであれば私は自信をもって言う。グランドキャニオンに行くと人生が変わると。
番外編: グランドキャニオン周辺旅行ガイド
以下の旅程が参考になれば嬉しいけれど、なにぶん移動時間が長い(帰りに見た車の記録では、なんとトータル3000km移動していた)。時間が有限であることをまだ知らない学生の身分だったからできた贅沢かもしれない。毎晩トリップアドバイザーを見て翌日のホテルを予約する行き当たりばったりさも、身軽で楽しかった。
旅程 | 内容 | 滞在先 | ホテル名 | 前日からの移動距離 | 宿泊費 |
1日目 | アルバカーキ空港に到着 | ニューメキシコ州 アルバカーキ |
Ramada Albuquerque Airport Hotel | $75 | |
2日目 | アリゾナへ移動。 アリゾナ大隕石孔に立ち寄る |
アリゾナ州: ウィリアムズ |
Grand Canyon Hotel | 580km | $88 |
3日目 | Grand Canyon, Antelope Canyon, Horseshoe Bendを散策 | ユタ州 パンギッチ |
Bryce Gateway inn Cabins | 500km | $84 |
4日目 | Bryce Canyon, Zion Canyonを散策 |
ユタ州 カナーブ |
Travelodge Kanab | 100km | $89 |
5日目 | パワースポットとして有名な セドナを観光 |
アリゾナ州 セドナ |
Bell Rock Inn By Diamond Resorts | 450km | $84 |
6日目 | アルバカーキに帰着 | ニューメキシコ州 アルバカーキ |
Ramada Albuquerque Airport Hotel | 600km | $75
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一日目:深夜アルバカーキ空港に到着。Ramada Albuquerque Airport Hotelに宿泊
映画でよく見る「モーテル」だ! と興奮したのもつかの間、バスルームでスマホを落としたら画面が笑ってしまうくらいばきばきに割れて、私は上陸2時間にして日本との連絡手段を失ってしまった。ホテルの写真も、これだけはオフィシャルから拝借したものである。単身アメリカ旅行に出た娘から連絡がこないとなれば、誘拐されたのではないかと母が発狂しかねないのが最大の懸念だった。友人のパソコンからグーグルアカウントにログインさせてもらい、妹との共通の友人にメールを送って、私の家族に事情を説明してもらった。そんなおバカなミスで、世界に誇るSONYクオリティで写真を撮れなかったのは後悔のひとつでもある。
二日目:移動の1日。アリゾナ大隕石孔に立ち寄る。Grand Canyon Hotelに宿泊
アリゾナ大隕石孔。日本では映画「君の名は」の公開直後だったので、隕石がぶつかると本当にこんなふうになるんだと驚いた。何もない一本道がひたすら続き、ときどきフワッと町が現れる。土地が広いためか、高層の建物はほとんどなく、カントリー調の平屋が多い。RPGの世界に紛れ込んだような気分になった。
ウィリアムズのGrand Canyon Hotelは老舗のホテルで、フロントには世界各国の紙幣が貼ってあった。宿泊客たちが残していくらしい。アットホームな内装がすごくかわいらしく、なぜか部屋中に色々なぬいぐるみがいるので癒される。
三日目:Grand Canyon, Horseshoe Bend, Antelope Canyon散策
Bryce Gateway inn Cabinsに宿泊
グランドキャニオン国立公園。アメリカ国歌が勝手に頭のなかで流れ出す壮大な風景。野生のリスすらどことなく強そうであった。たくさんの観光客がいて、落ちたら死ぬような場所にも自己責任のもと平気で立ち入ることができる。実際に毎年10人前後が行方不明になったり亡くなったりするらしい。「超危険そうに撮ってくれよな!」と友人にカメラを渡す若い男性や、夫と子供たちの写真を撮るお母さん、そのお母さんに「ご家族と一緒に撮りましょうか」と声を掛ける女性。ちなみにお母さんは「いいのいいの、私あんなところ怖くて行けませんから!」と丁重に断っていた。
コテージ型のホテルが立ち並ぶ。夜は真っ暗で砂粒みたいな星も肉眼で見ることができた。
中は普通にテレビも冷蔵庫もある絨毯張りのホテル。ドア一枚向こうと世界観が違い過ぎて魔法の部屋のよう。
四日目:Bryce CanyonとZion Canyonを散策。Travelodge Kanabに宿泊
Bryce Canyon 人形のように見える細くてでこぼこした岩がたくさんある。かつては海中に沈んでいたらしい。人の一生なんてまばたきの間なんだろうなと思った。
ザイオン国立公園では、ナローズと呼ばれる川下りのアクティビティに参加。みんなTシャツに短パンというような装いだったので軽い気持ちで水に入ったけれど、奥に行くほどだんだん水位が上がり、153㎝の私の場合は太ももまで水に浸かった。木製の杖を使っている人も多い。どうやら杖はこの近くで売られているようで、洞爺湖の木刀を思い出す。
こんな水位の場所でも、子どもを竹籠のようなものに入れて、おぶって歩いている親御さんもいる。足元の石がぬめるので、私は川下り中に3回転び、リュックに入れていた友人と二人分の着替えは全部使い物にならなくなった。なんで着替えを持ち運んだのだろう。
ちなみに、こんなところで日没を迎えると遭難まっしぐらなので、日没前に入口まで戻らなくてはいけない。思った以上にコースが長く(後々聞くと、全長は25kmあるそうで、時間と体力と相談しながら行けるところまで行くというのが一般的らしいが)、夕方から入った私たちは心半ばで折り返さなくてはいけなかった。途中で見た、岩場に反射する夕陽の美しさは、カメラには荷が重いと思うほどだった。とにかく景色が綺麗なので、足元ばかり見ているのはもったいない。時間が十分に取れて、体力に自信があるなら、朝からコースに入るのがオススメ。
五日目:パワースポットとして有名なセドナを観光
Bell Rock Inn By Diamond Resortsに宿泊
セドナに移動中はずっとこんな景色が続く。知らない星に流れ着いてしまったような気分で、ときどき開けた場所で他の観光客に出会うと嬉しい。
セドナのホテルは、これまでと同じ料金だったのに革張りのソファにキングサイズのベッドと、やたら豪華だった。フロントマンも、これまで泊まったモーテルは「ウィース」などと言い出しそうな若者ばかりだったけれど、スーツで丁寧な英語をしゃべる男性だった。この地方出身で、愛してやまない地元の観光に貢献したくてホテルに就職したのだという。
六日目:アルバカーキに帰着。初日と同じRamada Albuquerque Airport Hotelに宿泊
帰りの飛行機は早朝6時発だったので、3時には起きなければいけなかった。アルバカーキは中核都市なので夜景が綺麗で、街全体がらんらんと光っていた。室蘭みたいだなと思った。たぶん高い建物がなくて、ハイウェイの少し高いところから見下ろす形になったのが、函館・札幌間の道路から見る室蘭の夜景に似ていたからだと思う。できればもう一度、このモーテルの朝食が食べたかった。カップ1杯分のタネを出して自分で焼く「GOLDEN MALTED」のワッフルマシーンに心を奪われたから。