2022/08/11 - 12:58

Came To Be Journal

a pursuit to make sense of the world

Hello World~異文化コミュニケーションの始め方~

 

◆はじめに

肌の色が濃いインド人に「きみ、アフリカ出身?」と聞いて周囲にいた友人達に大爆笑されたという経験がある。日本を出た当初は、身体的特徴のみに限らず、英語のアクセント、着ている服、所作などから醸し出されるヒントを読み解く目がなかったためだ。海外で長期間暮らしたことのない多くの日本人にも同じことが言えるのではないだろうか。

”Culture is Training”というのが、ヒューストン短大でお世話になった文化人類学者の口癖であった。文化とは、その内側である程度の期間を過ごすことによって身に着けていくもの、といった意味合いであるが、異文化と接触したときに何に着目し、どう振る舞うのが好まれるか理解していくことは訓練を必要とするのである。

こうした訓練は、今、「時代が求めているもの」であろう。2017年末に放送された 「ガキの使いやあらへんで: 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!」の冒頭部で、ダウンタウンの浜田雅功が黒人俳優であるエディ・マーフィの変装をしたことで、国内外から批判を浴びたのは皆さんもご存じだと思う。

IT技術の発達によって日本の番組を国外から視聴する人も多くなっているのだろう。事実としてYouTubeには、英語字幕付きで同番組の断片がアップロードされている。製作者側に差別的意図があったかはどうかは問題ではないのだ。島国である日本ゆえのナイーブさが、許容されなくなってきているのだろう。

アメリカを始めとする多様な人種・文化が共生する国に住む人々は、物心がついた頃から肌の色や宗教、文化の違いについて考えながら生きる。あるいは、考える事を 「強制されて」生きる。日本という比較的に均一な社会に生まれ育つということは、そういった訓練を受けずに成長するということでもあるのだ。

「グローバル化1」によって、日本人を取り巻く環境は大きく変わってきている。内閣府の統計によると、在留外国人の数は過去20年で60%増加したという。2013年時点で、日本には210万人2の外国人が住んでおり、126万人3の日本人が海外で生活していた。世界に目を向けてみると、2013年時点では2億3000万人の人々が母国の外で暮らしており、過去50年の間でその数は約3.2倍に跳ね上がったのである4

異なる文化が接触するときには、「違い」による摩擦が発生する。前述したように、日本人がこういった接触を持つ機会は増加しているため、その摩擦や問題にうま く対処するためにも「文化」ついて考えを巡らせ、訓練を積むことは有意義な試みだといえよう。

◆このエッセイの目的

高校卒業後、僕は、アメリカのテキサス州ヒューストンにある大学に進学した。ヒューストンを選んだのは学費の安さが主な理由であったが、大都市の割に日本人があまりいないというのも魅力の一つだった。後になって知ったことだが、ヒューストンには多種多様な人々が暮らしており、その多様性はアメリカで第三位だとされている5

留学を始めてからもう4年が経つ。留学3年目からは、同じテキサス州のラボックという小さな大学街に引っ越すことになった。その人々の多様性ゆえに、リベラルな雰囲気のあるヒューストンとは違い、ラボックに住む人々はとても保守的である。特に大統領選挙の時には、政治的なイデオロギーの違いにびっくりさせられたものだ。

過去4年間で僕は世界40ヵ国の人々と交流を持ち、10ヵ国の人々と一緒に暮らしてき た。これまで4つのシェアハウスに住んだけれど、特にヒューストンのちょっとした スラム街に住んだ経験はとても強烈だった。

一階建てのボロ屋に8人で暮らし、シャワーとトイレは2つしかなかった。エルサルバドル人のゲイカップル。10分おきに25セントちょうだい!と部屋をノックしてくる薬物中毒者。医学部を目指すアフガニスタン人。サッカー大好きモロッコ人。両親がイギリスから移住してきたという白人のおじさん。黒人の刑務官。年齢も人種も価値観も文化も、全てがばらばらな家だった。そうした空間では、文化の違いが思わぬ勘違いを生み出してしまうこともある。

このエッセイでは、そんな環境で暮らすなかで気付いていった、「文化」をより深く理解する方法や、異なる文化で育った人々と有意義な関係を築くためのコツ、必要な知識のようなものを紹介しようと思う。

まず、大まかにそれらをまとめたい。

    1. 文化の構成要素を観察・比較することで、違いを認識し、文化が個人に与える影響を理解すること。
    2. 自身の異文化を見る際の「レンズ」に気付くこと。
    3. 相手を「ジャッジ」しないこと。
    4. 疑問形を使って相手の意見を聞き出し、対話を促進すること。

この4つが、僕が異文化コミュニケーションの際に重要だと考えるものだ。以下、それぞれについて書いていきたい。

◆文化を理解する

さて、そもそも文化とは一体なんなのだろうか。「文化」というものを言葉で定義するのはとても難しい。文化とはとても多面的な概念あるいは「存在」であり、それら全てを内包するように定義すると、逆に実感が湧かないぼやけた表現になってしまうからである。文化について理解するには異文化の世界に飛び込んで違いを観察する のが手っ取り早いと思う。

たとえば、海外旅行は手ごろな方法だろう。現地に行けば、日本と多くの点が異なることに気が付く。話している言葉、食べ物や服装、バーに入ってみると、やたら陽気な音楽が聞こえてくるかもしれない。言語や食料、衣服、芸術作品などは、文化の構成要素であり、その違いを観察することは、異文化理解の第一歩だ。アメリカで暮らす中で経験した、個人的に面白いと思った文化の違いをいくつか紹介したい。

  • ナイジェリア人の友達は、アメリカに来るまでベーコンを食べたことがなかった。
  • ガボン出身の友人は、ドレミファソラシドという日本人なら誰もが知っている音階を知らないばかりか、彼の中には音階という概念そのものが存在しなかった。
  • 同じインド人でも出身地によって全然違う言語を話す。職場にはインド人が20人ほどいたが、話す言語によっていくつかのグループに分かれていた6

自分たちの常識とは大きく異なる人々が世界には沢山いる。これはすぐにわかる例だが、文化の違いはこのようなものだけではない。旅行から一歩進んで、その国で暮らすことになったとしよう。異なる文化圏で長い時間を過ごす内に、言語や食べ物など「分かりやすい」違いだけが、文化の構成要素ではないことがわかってくる。また理解できていたと思っていたものに新たな側面が見えてきたりする。

振る舞いや何を正しいと思うかだけでなく、アイデンティティにまで、文化は影響を及ぼす。さきほど「ヒューストンとは違い、ラボックの人々は保守的だ」という話をしたが、実際にどう違うのか説明したい。ヒューストンにはトランプ大統領を嘲笑し、移民に寛容な雰囲気があったが、ラボックにはトランプ大統領の支持者が多い。長期間共に働いた同僚に 「外人はアメリカ人を殺しにくるんだ!」と言われ、僕は面喰ってしまった。

また別の例としては、アメリカで育って日本語を外国語として学んだという日本人の青年に会ったとき、彼が話す日本語には敬語が抜け落ちていることに気付いたことがある。それは彼が僕をなめているというわけではなくて、年上には敬語を使って話すべきだという感覚がないのであろう。

人と話すときは相手の目を見つめるべきか。相手とどの位距離を取るのか。感情の起伏はどれ程素直に表せばよいのだろうか。これらは文化圏ごとに異なるものだ。 異なる文化では、異なる人間関係やコミュニケーションの方法が好まれるのだ。

男女に求められる役割にも、文化によって違いがある。子育てや料理は男女どちらがするのが好まれるのだろうか。子供はいつ大人になるのだろうか。神は存在するのだろうか。これらは全て、特定の文化がその考え方に影響を与えている事を示している。

懐かしのGhetto House
懐かしのGhetto House

大学
大学の写真

 

 

 

 

 

 

◆文化を見るときの「レンズ」

ここまで僕は文化とは何か、それがどう個人に影響を及ぼすかということについて語ってきた。しかし、そもそもの話として、なぜ日本と外国の文化はこんなにも違っているのだろうか。そして、それらは、どのようにして「つくられてきた」のだろうか。

文化を言葉で定義するのは非常に難しいが、あえてするなら、文化とは「ある地域の人々が遥か昔から行ってきた事や感じてきたことの蓄積」といえると思う。自動車や飛行機がなかった時代の人々は、地理的に拘束されて暮らしていた。人々は生まれた場所の気候や採取可能な天然資源という制約の中で、効率的に生きていくためのシステムを組み立てていったのであろう。

機械など存在しなかった時代の農業はとても過酷な肉体労働だったために、男性が畑を耕し、その代わりに女性が料理をするといった作業分担が生まれたのかもしれない。降水量や自然災害は、収穫高という形でコミュニティの生存や福祉に多大な影響を与えたため、人々は祈る思いで風や水の神といった存在を生み出したのかもしれな い。

このような習慣や思想が長期間によって維持された結果、そのコミュニティでは男女には異なる役割が「期待される」ようになり、自然の神といった存在を前提とした風習が生まれていくのである。そして風習は文化になり、社会構造が変化していっても、思想だけが生き残っていく。

例えば、ある日本人が「アメリカ人は靴を履いて家を歩き回るなんて変な人々だ」 と思うのは、その人が日本で暮らしてきた人々が積み上げてきた文化というレンズを 通して物事を観察しているからである。クリスマスにフライドチキンを食べる日本人も、そうした文化のない外国人から見れば、おかしな奴らなのである。

異文化について考える、あるいは外国人と交流をする時には、あなたに馴染み深い日本文化のレンズを外し、中立的な視点から文化を観察することが大切である。文化とはある国や地域に住む人々が長い時間をかけて積み上げてきたものであり、彼らの考え方や振る舞いは歴史に裏付けされている。あなたが文化の違いに戸惑ったときは、俯瞰的にその違いのルーツを模索してほしいと思う。

クリスマス料理
これが本場のクリスマス料理だ!

◆異文化コミュニケーションを妨げるもの​①

さて、文化は異文化コミュニケーションを妨げるものでもある。こんなことを言うと身も蓋もないが、ほとんどの人は、自分と同じような考え方を持ち、同じものが好きで、同じような経験をしてきた人と付き合う事を好む。アメリカに暮らすとすぐ分かるが「人種のるつぼ」などと呼ばれてはいても、レストランに行って遭遇した4人組が白人、黒人、ヒスパニック、そしてアジア人という組み合わせだというような事はまずない。学校内でも基本的に学生は同じ人種でかたまっているし、住む場所も人種によって大まかに分けられている。

このような人種による区別は人間社会をマクロなレベルで観察した時にはとても重要なファクターであり、問題でもある。異なる人種間に存在する壁は、彼らが触れ合う機会そのものを減らしているという事は出来るかもしれない。

しかし個人間の交流というミクロな視点で考えてみると、同じ人種や同じ文化を共有する人が固まってしまうのは「そっちの方が楽しいから」という事に尽きると思う。同じ趣味を持っていたり、同じ音楽が好きな人との方が単純に会話が弾むのである。アメリカにいる留学生は他の留学生と行動を共に行動する事が多い。人種は違っても、同じ苦労を経験しているので、全然違う経験をしてきたアメリカ人よりも話が盛り上がるのである。

自分と周囲の違いが浮き彫りになってしまう環境というのはストレスの原因にもなりうるのだ。黒人が黒人と、白人が白人と一緒に過ごすのは自分の黒/白人性を再認識し強固なものにするという意味もあるのではないだろうか。

このように、人種や境遇の違いよって生まれる文化の相違はある意味で異文化コ ミュニケーションを妨げるのである。異文化に興味があり、自分と異なる人と積極的にコミュニケーションを取りたいという人はむしろ少数派なのだという認識は持っていてもよいのではないだろうか。

◆異文化コミュニケーションを妨げるもの​②

異文化交流を妨げるもう一つの要因は、ポリティカル・コレクトネス7だと僕は思う。これは、本来の目的からそれてしまい、いうなれば「教条主義」に陥ってしまっている感がある。

アメリカでは、もちろん相手との関係性によるが、政治・宗教・人種など繊細な話題を安易に口に出さない事が暗黙のルールになっている。これらは感情的になりやすいトピックであり「差別主義者」などのレッテルを貼られてしまう事を人々は恐れているのだ。

あるとき僕は、多くの人が僕に個人的な秘密を打ち明けてくることに気が付いた。自分が同性愛者だとか、親に虐待されているだとかそういう類の話である。どうして特別親しくない人たちが大切な秘密を僕に話すのか不思議に思って、アメリカ人に相談してみたところ、多くの人が”because you don’t judge me”(なぜなら君はジャッジしないから)との答えをくれた。

人を「ジャッジ」するとはどういう事なのか考え始めて僕は、アメリカ人がどれほどそれを恐れて生きているかに気が付いた。前述した〇〇主義者というレッテル貼りもそうだが、他人の意見を否定し知性を疑い、会話をするに値しない人間だと決めつける事もジャッジの一つである。

日本語ツイッターコミュニティを見ていると、会話中の各人がお互いに関して「こいつバカ過ぎ話にならん」というような事を言っているのをよく目にする。同じ文化圏でもこうなのだから、異なる人種や文化を持つ人とコミュニケーションを取る場合は特にこの危険が高まる。結果としてポリコレは、このレッテル貼りを助長しているのではないかと思う。

正直なところ、多くの人は行き過ぎたポリコレに嫌気がさしているのではないだろうか。言葉尻を捕らえられ、差別主義者と罵られるくらいなら俺はもう何も言わないよ、という人が増えてしまってはコミュニケーションは始まらないのである。もし「こいつは俺をジャッジしない」と相手を安心させることが出来れば、コミュニケーションはとても有意義になるだろう。

◆異文化コミュニケーションのコツ

では「僕は君をジャッジしないよ」と示すには、どうしたらいいだろうか。質問文をうまく使うと異文化コミュニケーションはうまくいく、というのが僕の経験から導かれた結論である。

とても当たり前な事だが、なぜこの人はこういう事を言うのだろうと疑問に思ったら聞いてみればいいのである。相手の意見を聞く準備が整っていると示すことは、 オープンな会話を始める第一歩である。相手の意見を理解するに十分なヒントが聞けたと思ったら「君が言っているのはこういうこと?」とまた質問する。 多くの人はそういったことをせずに、反射的に「それは違う!」「俺はこう思 う!」と相手に反論してしまう。そういう反応をされると人は防御モードに入ってしまうのだ。

少し例を挙げよう。クウェート人と一緒に住んでいた時の話である。その人は ちょっと敵わないなと思うような頭脳の持ち主だったが、いつもこちらに何かを聞くという事は無しに、命令口調で話してきた。「お前はもっと新聞を読むべきだ!」 「アメリカの外で就職なんてするな!」という具合である。

そういうふう言われると、話す気が無くなってしまう。もし彼が「自分の周りで何が起こっているか知っておいた方がいいんじゃない?」「どうしてアメリカの外で就職しようと思うの?」などと聞いてくれていたら、僕ももっと冷静に、正直に話が出来たのではないかと思う。

どうして僕が自分の意見を言う前に相手にたくさん喋らせるようになったかというと、多種多様な人に会ってきたからということに尽きると思う。ある人がAと言う時、 その考え方は、その個人が経験したこと、どこで生まれ、どのような生活を送り、何をしてきたかの反映である。

異文化について知ると、より多くの視点からある人の行動・言動を考察することが 出来る。したがって、相手を頭から否定せずにまずは聞いてみようという気持ちになるのである。僕はこういうコミュニケーションの方法を取ってきて、その結果、聞きたくもない悩みを打ち明けられることも増えてしまったが、たくさんの事を学んだ。 おすすめである。

◆異文化コミュニケーションから得られるもの

どうして異文化交流をすることが大切・必要なのだろうか。対話をすることの価値は大きく分けて二つあると思う。まず単純に、異なる文化や人種がお互いの違いを認識・許容する世界はとても生きやすいだろう。そして、他者との対話は、自分が何者なのかを見直し、深く理解する手助けをする。

まず最初に認識しておくべき事実として、対話をしたところで相互理解が訪れるわけではない。結局、分かり合えない人というのは存在する。むしろ対話に必要なのはある程度の無関心だと思う。「よく分からんけどおもしろいね!」ぐらいの熱量で会話すると異文化コミュニケーションはうまくいく。相互理解に達しないなら対話の必要がないと反論されそうな気がするが、それは違う。異文化に関する知識の量を増やしていくことは、無意識のうちに差別的な考えを持ったり、考えずにステレオタイプを受け入れてしまう事を防ぐ。

たとえば、白人の子供は黒人の肌の色を泥や埃で汚れていると勘違いする事があるらしい。アニメ好きのアメリカ人は、全ての日本人がアニメを見ていると思い込んでしまう。人種に関する話は、親もどう対応すればいいか困ると思われるが、「皮膚の色はメラニン色素の量によるものであり、肌の色はその人自身を評価・判断する材料 にはなりえない」としっかり説明すれば子供も納得するだろう。

僕が言う対話とは、違いを認識し、誤解を解いていくプロセスである。多様な文化、考え方を許容することによって人は、幅広い視点で物事を考えることが出来るようになる。そういった個人が増加するにつれて、結果的に社会全体がよりクリエイティブになるだろう8。こういう現実的な利益を生み出すためにも、対話を始めて、違いに寛容で生きやすい社会を促進する事は大切なのである。

“Culture is Training”という言葉は最初に紹介したが、その訓練を長期間受けるにつれ、文化は内面化され、自分の「あたりまえ」を疑う機会がなくなっていく。異文化と接触を持つことは、自身の文化との比較、あたりまえに意義を申し立てることを可能にする。僕が高校時代にお世話になったアメリカ出身のALTはこういう事を言っていた。

「海外に住むと、その国と比較して自分の国に猛烈な嫌悪感を覚える時期と、自分の国に過剰な愛を感じる時期を経て、最終的にはその中間に落ち着く」

異文化経験というのは、ある程度の「結論」めいたものに達するのに時間を要する プロセスである。色々な違いを発見していくなかで、どの考え方が自分にとって納得がいくか取捨選択することができる。文化のいいとこどりだ。異文化交流とは、思考の枠組みや可能性を広げるものであり、どう世界を捉え、どう自分を理解するかを変えていくものなのだ。

◆最後に

「Third Culture Kit (TCK)※9」と呼ばれる人たちの事を知っているだろうか。TCKとは、子供の頃に生まれた国を離れ、両親とは別の文化圏で成長した人たちの事を指す。彼らにとって、”Where are you from?”というありふれた質問は、悪夢のようなものらしい。多くのTCKは頻繁に引っ越しを経験する。アメリカのパスポートを持っているが、高校を卒業するまでの間に5か国で生活をしたといった場合、自分がどこの国出身なのかよく分からなくなってしまうのだ。そういった状況の中で、多くのTCKは自身を「グローバル市民」と定義する。Homeと呼べる帰るべき場所、自分が所属する国は一つではなく、地球全体なのだという意味だ。しかし、彼らは公的にはパスポート発給国の国民であり、グローバル市民などではない。人々が、真に自由に移動できるような世界は、まだ訪れていないのである。

アメリカ文化は僕のキャリアに対する考え方や人生プランに大きな影響を与えた。自分の人生プランを実現するために、アメリカで就職したいという思いは日に日に強くなったが、日本人であるという事実が大きな足枷になってしまう。多くの企業は、労働権を持たない外国人のために就労ビザを申請する手間やコストを嫌うからである。そのため就活中の留学生は、決して自分から留学生であると口にしてはいけない。日本で生まれ育ったという理由だけで、僕という人間を否定されているような気がした。結局、日本人であることを捨てきれない僕にとって、これは大きなストレスだった。アイデンティティと他社にとっての自分が乖離した状況は、精神的にとても苦しい。

異文化に飛び込むという事は、このようにアイデンティティを揺るがす危険性を持っている。異文化に馴染み、愛を深めるにつれて人々は、自分の国籍や帰属に苦しむことになる。もし読者に留学や海外就職を視野に入れている人がいるなら、こういう話も知っておいて損はないだろう。

僕がこのエッセイで述べた、相手の話を聞く耳を持つというコミュニケーションのコツはとても平凡で、文化の違いを抜きにしても、当たり前に用いられるべきものだ。ところが、これができない人が多い。

価値観や文化がどれだけ異なっていても、自分が関わりを持つ人間は、生きるために努力して金を稼ぎ、未来がより良いものになっていく事を願う仲間なのである。そういった態度や敬意が、異文化コミュニケーションの第一歩になる。このエッセイが読者の皆さんのお役に立てれば幸いである。


※ このエッセイは、2018年5月に発売された「M.L.J Vol.1 特集異文化コミュニケーション」という同人誌に私が寄稿したものです。編集長とはTwitterで知り合った友達で、いいSNSの使い方が出来たと思っている。残念ながらもう買えないので、自分のブログに載せていいか聞いてみたところ「記事の著作権は執筆者にあります!」と律儀な回答を頂いたのでここで公開することにした。軽い気持ちで引き受けたら「投稿規約」なる難しい日本語の書類が送られてきて「ガチなやつやん…!!!」と少しビビったことを思い出した。執筆時私は、テキサスの大学4年生だった。4年間に及ぶ異文化体験を自分なりに形に出来てよかったと思う。注釈リンクが既に死んでいるのもあり申し訳ないが、筆者なりの当時のすべてをそのまま転載することを許していただきたい。


脚注:

  1. グローバル化とは、 IT技術の発達によって、物理的に離れた場所との「距離」が縮まり、簡単に外国の情報が手に入るようになっていること。加えて、国境の垣根なく移動する人の数が増えていくことである。
  2. 内閣府,2015,「人口・経済・地域社会をめぐる現状と課題」
    http://www5.cao.go.jp/keizaishimon/kaigi/special/future/sentaku/s3_1_9.html
    2018年2月27日確認
  1. 外務省領事局政策課,2013,「海外在留邦人数調査統計」
    http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000049149.pdf
    2018年2月27日確認
  2. TCKid Admin,2014,Just How Big Is the TCK Population?
    http://news.tckid.com/just-how-big-is-the-tck-population/
    2018年2月27日確認
  3. Richie Bernardo,Senior Writer,2017,2017’s Most Diverse Cities in America
    https://wallethub.com/edu/most-diverse-cities/12690/
    2018 年2月27日確認
  4. 現在(※執筆時点)インド憲法は22の州言語を承認している。方言に関しては500とか1000とか色々な数字が散見されるが、僕の専門外なのでここでは明示しない。
    http://rajbhasha.nic.in/en/languages-included-eighth-schedule-indian-constution
    2018年2月27日確認
  5. 1980年代にアメリカで提唱された、人種・宗教・性別などに関して、差別的な示唆を含まない 「中立的な言語」を用いることが政治的に正しいとする考え方。近年では「政治的に正しくな い」という批判が皮肉として用いられ、人々が違いについて議論する機会を減らしているように僕には思える。
  6. Cox, Taylor H., and Stacy Blake.1991 “Managing Cultural Diversity: Implications for Organizational Competitiveness.” The Executive, vol. 5, no. 3, 45–56.
    http://www.jstor.org/stable/pdf/4165021.pdfefreqid=excelsior%3Aed3ea65dd3b7c8641e6ce99ba4b1 5fd5
    2018年3月8日確認
  7. 参考動画。TCKのTed Talk
    https://www.youtube.com/watch?v=8RCmgMKJRy8
  8. もしアメリカ留学にどのくらいお金がかかるのか気になる人は、合わせてこちらも読んでみて下さい。

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